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執筆者の写真川上 信也

喫茶「ひまわり」

 去年から部屋の荷物を整理している。近々引っ越しになるかもしれないということもあるけれど、できるだけ簡素に暮らしたいということで、思い切っていろんなものを捨てた。一番多かったのは過去に仕事をしていた雑誌の数々と、大量のポジフィルムだ。雑誌は掲載号は数冊いただいていたので同じものが何冊もある。それらを特別気に入ったものは残し、それ以外は自分の写真のページを切り取ってストックしていった。それだけでも大量の雑誌となった。

 そしてさらに手ごわいのがポジフィルム。山にいた頃からのストックなので、もう何枚あるのか想像もつかない。ポジフィルムでは同じ光景を何枚も撮影している。露出違いというだけでなく、自分用、予備用、ストックフォト用などに分けられ、さらに露出違いで撮影しているからほんと大量。ここを思い切って一枚のみにするだけでも半分ほどになるのではなかろうかと整理していったら、その通り半分ほどになった。段ボール5箱分くらいになるだろうか。自分の財産と思って大切にしなければと思っていたけれど、時代はデジタルになり、さらにフィルムを必要とする仕事はほぼなくなった。まあ気に入った写真はデジタル化しているので、その点でいえばもうすべて処分してもいいのかもしれない。しかししかし、やはりいろんな想いが込められているフィルムなので、半分が限度。どうか半分で勘弁してください(誰に言ってるのかな)。

 

 そんな整理の中で、思わぬものを発見したりする。

 なぜかポジフィルムに交じって箱に入っていたのが、このマッチ箱。見つけた時は「あったのかー」と声をあげてしまった。これはかつて松山にあった「喫茶ひまわり」のお店でもらったマッチ箱だ。僕はたばこは吸わないので箱だけをいただいている。

 喫茶「ひまわり」は松山のロープウエイ通りの真ん中あたりのビルの奥にあった。昔からある喫茶店のようだったけれど、インテリアや照明、雰囲気がとてもセンスが良くて帰省するたびに立ち寄っていた。お店には年齢不詳の女性が一人おられて、いつもニコニコして「ウフフッ」というかわいらしい笑い方で出迎えてくれた。僕よりはかなり年上だったと思うけれど、店内の雰囲気や置かれているDMなどを見ると、どうも芸術家なのではないかと想像していた。だいたい芸術関係の方は年齢不詳なのだ。

 僕はいつもそこでカレーライスを食べ、何となくお話したりしながら松山時間を過ごしていた。店内はいつも誰も他にお客はおらず、必ずモダン・ジャズ・カルテット(M.JQ)の音楽が流れいた。今でもこのグループの「朝日のようにさわやかに」を聴くと「喫茶ひまわり」の店内とウフフッの笑顔を思い出す。あの軽やかなジャズの音色とひまわりの店内はとてもマッチしていて、鉄筋の音は店内に弾けるように響いていた。

 僕が松山で写真展をすることになり、案内状をもちろん手渡していた。後日、会場に来ていただいたのだが、会場で見るその女性は違った方に見えて最初は分からなかった。笑い声で分かったという感じだ。喫茶「ひまわり」のカウンターとセットのような雰囲気なんだなあ。

 そして半年後くらいに再び帰省して行ってみると、お店はなくなっていた。はて、ここにあったはずなんだけどなあなどと思いながら途方に暮れたことを思い出す。まるで幻のように消えてしまった喫茶店。

 あれから20年近くが経ち、なんだか夢の中のようなフワフワした記憶の中にあのお店はある。あの笑い声が関係しているのかもしれない。なのであのお店が実在したていかさえ疑わしいような曖昧な記憶になっていた。

 そして数時間前にこのマッチ箱を見つけた時は、あの懐かしい笑い声とM.JQの音楽が頭を駆け巡っていた。

記憶の中にある夢が正夢になったような、何だかよく分からない不思議な感覚。

もちろんこれは捨てられないなあ。あのウフフの方はお元気だろうか。

 こんな事を思い出して、しかもこんな文章書いたりしているから整理ははかどらない。

 でもとてもいい記憶の蘇りだった。






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