小笠原 順子 (オガサワラ ジュンコ)竹8シネマプロジェクト リーダー
黄金色のくじゅう連山が見えてきたころ、「午後3時からは交通規制があるからそれまでなら道は大丈夫」という順子さん(みんな親しみをこめてこう呼ぶ)からのメッセージがスマホに届いた。国道442号線竹田市方面への車が混んでいたのは「竹楽」最終日ということが原因らしい。城下町が近づくにつれ車はさらに多くなり、歩いている観光客らしき人も見え始めた。いつもの静かな雰囲気とはちょっと違う特別な空気に満たされた城下町。どちらの表情もとても魅力的な小さな町。
中心地からほど近い、山ともいえない小高い丘に囲まれた緑豊かな場所に順子さんの自宅はあった。先月末に開催された竹8シネマプロジェクト「竹田ん宝もん」の映画完成上映イベント以来の再会となる。
「ヤギいますよー。」
2ヵ月前、順子さん宅にヤギがやってきた。沖縄出身、メスのプキちゃん。かわいい手づくりの首輪をしている。そして自宅裏にある広大な広場でヤギの散歩。すぐさまプキは草を食べ始め、それを見かけた近所のおじさんが声をかけてくる。いつものように順子さんは笑顔で返す。これがここでの日常の光景なのだろう。二人の子供たちはここで野イチゴを摘んだりよもぎを採ったりしながら野原を駆け回り、すっかりこの土地での暮らしになじみ、楽しみ、満喫しているそうだ。
順子さんが生まれ育った東京から移住してきたのはほんの数年前、2016年のこと。その前年2015年に大分市のスタジアムでサッカーのイベント、キリンチャレンジカップが開催されたのであるが、順子さんはキリンの担当者として大分にやってきたのだ。そしてこのイベントを通じて知り合った竹田市の方々と不思議なほどに気が合い、この方たちの町、竹田市にぜひ行ってみたいと滞在を一泊延長したのが大きな転機となる。
翌日レンタカーを借り、竹田市を訪れたときのこと。
にぎやかではなく、穏やかに息づく自然の中に姿を見せる城下町、それを見たときに鳥肌が立ったという。体が喜んでいるという実感、今までに感じたことのないような不思議な感覚が土地、風景から押し寄せてくる。
Good Vibrations !
即、移住を決意。もちろん以前から移住したいと心に秘めていたのだが、ここ竹田市に訪れたときにもう抑えられなくなったのだ。二人の子ども、旦那さんもそれを受け入れ(よく受け入れたなあと…)、移住計画は一気に加速してゆく。
この当時のことを、先月の竹8シネマのステージでゲストとして参加していた作家の江上剛さんがこんな風に表現していた。江上さんは東京時代ご近所の方だったのだ。
「順子ちゃんが聞いたこともないような九州の町に移住するとか言い出して近所中大騒ぎになったんです。何しろ順子ちゃんは地元の英雄だったものですから」
そう、順子さんは多くの方々にとって英雄だったのだ。
2000年シドニーオリンピック、競泳平泳ぎ日本代表。
実はその後の無鉄砲ともいえる順子さんの行動の数々は、このオリンピックでの経験が大きくかかわっている。本番直前に原因不明の腰痛を発症し、とても泳げる状態ではなかった。そんなとき別の種目のトレーナーから声をかけられ、懸命のリハビリを行い、何とか回復にいたってレースに臨む。そして準決勝まで駒をすすめることができたのだった。
それまで人見知りだったという順子さんは(人見知りだったのか!)、その出来事から人との出会いの大切さを知ることとなり、失敗から学ぶことを体感し、どんなことが起ころうともそれには意味があり、自分のためと考えるようになる。オリンピックから得た大切な人生の価値。
そして「仕事やめたら自由になれるじゃん!」と、思い立って1年後に竹田市に移住。
移住してすぐ、東京時代の知り合いだった8ミリフィルムを集めて地域映画を制作している映画監督、三好大輔氏に連絡を取り、竹田市でぜひ地域映画を制作してほしいと伝える。話は一気に進み、順子さんはプロジェクトリーダーとして地域の方々と密接に行動しながら動き回る日々が始まる。
そして2年かけて完成された「竹田ん宝もん」。時間をかけたことで見えなかったものが見えてくる。竹8を通じて本当の竹田市が見えてくる。そして地域をつなげてゆく。僕自身もパンフレット制作を依頼されてつながった一人。僕もGood Vibrationsに共鳴したのだ。
これから順子さんは竹8でのつながりを大切にしながら、新たなるステージへと向かってゆく。それは牧場と映画館を竹田市につくること。そこは世代をつなげ、世界を広げ、様々な状況の子供たちにとっても救いの場となりうる場所。それは竹8の活動を通して得たみんなに幸せでいてほしいという気持ちから始まった。
夏になると学校を巡り、子供たちに水泳を教えているのもそんな気持ちから。小さな町の子供たちが元オリンピック選手に教えてもらえるなんて!
「竹楽」で賑わう夜の城下町。
バスが次々と笑顔の人々を駅前に降ろしてゆく。
様々な場所で湯気が立ち、いい香りが漂い、音楽が響き、笑顔が広がる。
ここに近々、映画館の賑わい、動物たちの声も加わるのかもしれない。
新たなるGood Vibrationsを順子さんが振りまいてゆく。