岸本麻子 ピアニスト
彼女とはずいぶん前に知り合っているけれど、どのように知り合ったのかよく覚えていない。おそらくお互いによく行く小戸公園そばのピアノのあるカフェで、自然と話すようになったのだろうと思う。そして彼女が弾くピアノの音色にごく自然に耳を傾けるようになり、異国の空気を漂わせるそのメロディは、哀愁を伴いながらスッと心に入ってきたのだった。
この演奏の心地よさはどうしてだろう。ピアノを弾いている時の真剣な表情とはまったく違う柔らかな笑顔の彼女といろいろ話していくうちに、生きてゆく上での共通の価値観(あんまりセカセカしてないとか…)を持っていると感じたことも一つの原因かもしれないし、音楽そのものが僕にとっては新鮮で好みにも合っていたということもあるのだろう。それがショーロと呼ばれるリオ・デ・ジャネイロ発祥の音楽ということを知ったのはずいぶん後になってからのことだ。
「Brejeiro」
グランドピアノの置かれた彼女の自宅スタジオで撮影を始めると、彼女が最初に弾いたのがこの曲。僕は存在を消すように撮影しながら耳を傾ける。ライブで何度か聴いていた曲だ。明るい曲調に聞こえるけれど、次第に哀愁、憂いが漂いはじめ、グッと心をつかまれる不思議な曲。これが現地の言葉でいうサウダージというものだろうか。
ショーロはヨーロッパのクラシック音楽とアフリカ特有の太鼓のリズム、そしてインディオの旋律から融合して生まれたブラジル最古のポピュラー音楽の一つであり、楽譜(ポルトガル王朝の置き土産)という媒体を使って記録が残された稀な存在でもある。それぞれの家族、コミュニティーで家庭料理のように独自の発展をとげながら、その中からサンバやボサノヴァが誕生してゆく。要するにサンバやボサノヴァの原型となった音楽だ。彼女も大ファンであり敬愛しているブラジルの作編曲家ピアニスト、Radamés Gnattali(ハダメス・ニャタリ)はショーロのピアノ演奏において多大な影響を与えた国民的音楽家として知られている。
「Odeon」
この曲も何度も聴いている曲。オデオンという映画館の名前が曲名になっている。軽快な出だしで始まるけれど、こちらも途中から心奥の感情を呼び覚ますような力強さと哀愁が加わってゆく。
彼女は20代半ばにこのショーロと出会い、その魅力に取りつかれてゆく。それまでやっていた吹奏楽、クラシックとはまったく違う、心に強く訴えかけ胸をえぐるようなメロディ、それでいて自由を感じさせる地球の反対側で生まれた音楽は、型にはまった形式的な音楽に疑問を抱いていた彼女の音楽人生に転機を与えることになる。
「Carinhoso」
ジョビンのアルバムで知っていたこの曲は、ショーロを一つのジャンルとして開拓した偉大なる音楽家ピシンギーニャ作曲によるもの。ショーロを代表する曲でブラジルでは知らない人はいないという。彼女の演奏では途中の流れ落ちるような旋律に優しい雨のようなイメージを抱いた。きっと本来のイメージは違うだろうけれど、まあそれは聞く人それぞれなので。
昨年、彼女は一か月ほどブラジルに滞在し、様々な現地のミュージシャンたちと知り合いながら演奏を共にしてきた。ショーロを肌身で感じてきたのだ。現地の空気の中で人々の呼吸を感じながら演奏を繰り広げるという熱い体験。先ほど演奏していた「Odeon」の映画館にも行ってきたという。
「自己表現というより、音楽を表現するための音楽を求めていきたいな」
と彼女はいつもの笑顔でさりげなくいうけれど、彼女のピアノの音色にはいまや現地の風や湿気が含まれている。ライブではお客のニーズに応えながら様々なジャンルの演奏もこなしているが、どの演奏からも楽譜では表現できない彼女の個性が表現されてゆく。
ショーロのピアニストは日本ではとても珍しいという。彼女の小さな指先がピアノを通じて少しずつ少しずつショーロの魅力を世界に伝えてゆく。
岸本麻子 ピアニスト
5歳よりピアノを始める。
福岡第一高等学校音楽科器楽課程卒業。
テューバ専攻、貫里英樹に師事。
福岡女子短期大学音楽科ピアノ課程卒業。
ピアノを野口誠司に師事。
Radamés Gnattaliの作品との出会いをきっかけに、
2007年ごろよりショーロの研鑽を積極的に積む。
2017年10月、サンパウロとリオ・デ・ジャネイロにおよそ一か月滞在し、数多くのミュージシャンとのセッションに参加。
これまでに南米音楽の基礎をLeonardo Bravo(レオナルド・ブラーボ)に、ショーロをリオ・デ・ジャネイロ在住のショーロフルーティスト熊本尚美に師事。
アリワレギュラーライブ(毎月第4金曜日)
スタート18:00~ /20:00~ (MC各1000円 要オーダー)
cafe alikwa 福岡市西区小戸3-40-8 ℡092-882-8822