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川上 信也

松山へ


あけましましておめでとうございます。

とっくに明けてますが。

年末から松山の実家に帰っていて、ブログはお休みでしたすみません。

携帯から更新できるようなので、lこれからそうしてみようかなと思ったりしてます。

福岡から松山まではいくつかルートがあるけれど、とても不便。

大分の佐賀関から三崎へと向かうルートが一番距離的には近いかもしれないけれど、

このフェリーは年末の混雑時になるとなかなか予約はできない。すぐいっぱいになって、しかも料金は結構高い。

時間があるのでこの頃は福岡から陸路、広島、尾道と行ってしまなみ海道を渡り、今治、松山へと向かうルートを使っている。時間はかかるけれど、料金もフェリーで行くより安くなるし、中国自動車道などは田舎風景が続き、年末でも車は少なく、結構快適なドライブなのだ。

朝の9時に出発し、お昼を適当に食べて休憩しながら、だいたいしまなみを超えて今治を過ぎ、石鎚山が見えてくるのが夕方の5時くらいだ。左手に壬生川のおばあちゃんちが見えてくる。

ここで帰ってきたなあと思う。

 この日はやや雨模様。遠くに雲をかぶった石鎚。

新年を自宅で久々に迎え、押し入れなどを整理。

懐かしいレコードが出てきた。この頃レコードを再び聴き始めたのでこれらを持って帰ることに。ビートルズはほぼそろっているし、高校生の頃好きだった映画音楽のLPも数枚。CDでは見つけられない音源なので、これは貴重。ジョージ・ハリスンの「不思議の壁」なんていう今ではレアなレコードもある。しかも赤盤のアップル。多くは僕のおじさんが持っていたもの。

そこで新年の初日の出に輝く赤盤アップルを。特に意味はないんだけど。

初詣をすませ、家族と内子町へとドライブ。

お正月ということで人通りはとても少ない。でもこの白壁の町、高校生のころから結構好きだ。先日読んだ原田マハの小説「旅屋おかえり」にも登場していて、この町は白壁などの伝統的建築物を保存するように町をあげて活動してきた日本初めての町なのだという。当時はどんどん近代化へという時代だったから反対も非常に多かったらしいけれど、未来のためにという信念で残してきたという。

電線もこの通りでは見られない。ほんといい町だ。

二日目は懐かしいおばあちゃんちなどをまわり、久々の再会でみんなと非常に楽しいお昼ごはん。帰ってきてよかったなあと思う。

帰りに西城駅にある鉄道博物館へ。

0系新幹線も見ごたえあったけれど、DF50があったのでびっくりした。小学生のころ、クラスで鉄道がはやっていた時期があり、このDF50が引退するというのでみんなで松山駅に見に行ったのだ。昭和58年のこと。もしかするとその時に撮影したDF50かもしれない。赤い車体に白い鉢巻き姿。

そして昨日、再び陸路で福岡に戻ってきた。

途中尾道に立ち寄り、お昼ご飯は尾道ラーメン。

餃子セットを頼むと小皿に黒豆がついてきた。普段はサラダらしいけれど、黒豆好きの僕にとってはうれしい小皿だった。

さて、福岡で今年はどんな撮影が待っているんだろう。

みなさん、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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