外出自粛の中、過去に読んた本を読み返している。その中でやっぱり面白いなあと思ったのは沢木耕太郎の「深夜特急」。僕はこのシリーズの第一巻「香港 マカオ編」を法華院温泉山荘のテラスで読み、香港に行きたくてたまらなくなったのだ。そして本を読んだ1か月後、2週間の休みを利用して1997年12月、香港へ向かったのだった。ここ数日、とにかく時間があるので、懐かしい香港の写真を撮りだして複写しながら眺めている。
この旅の予定はおよそ10日間、何をするかは深夜特急のようにまったく決めず、宿ももちろん決めずに香港に降り立った。一眼レフを手にしてまだ半年という僕は、とりあえずネガフィルム10本をザックに入れ、レンズは28-80の1本。今と違って枚数にかなり限りがあるけれど、特にそんなこと気にせず(それが当たり前だったし)、とりあえず心揺さぶられたものにシャッターを押していった。
「深夜特急」の舞台は70年代なのでずいぶん雰囲気は変わっているかもしれないけれど、それでも初めて看板が頭上に立ち並ぶ光景を見たときは鳥肌がたつくらいに感動したのだった。
これが香港での1枚目。かなりブレているけれど、今にして思えばこれがかえって自分の興奮を伝えているのかなあと。バイクにピントが合っているように見えるので追随しながら撮ったのかなと。
宿は地球の歩き方に掲載されていた「ラッキーゲストハウス」という一泊1500円の安宿を目指した。そこはネイザンロードを抜けて上海道を入ったあたりにあったと思う。ドミトリーでオーナーは日本人ということで、扉を開けるとランニング姿のおじさんが出てきてとても親切に出迎えてくれた。
こんな張り紙が。治安の良さは香港一!
そしてやはり最初にしてみたかったことは、本の中で「60セントの豪華な航海」と名付けられていたスターフェリーに乗ることだ。さっそく九龍側の乗り場へと向かった。海は黄金色に輝き、その先からやってくるスターフェリーの特徴的なシルエットに鳥肌が立つほど心ときめいたのを覚えている。まるで映画の中にいるようだなあと。
フェリーは2階建てになっていて、上層は2.2HK$ 下層は1.7HK$。60セントよりはずいぶん値上げしていたけれど、それでも安い。僕は主に下層に乗っていた。それはベンチが木製で灯りは電球色、レトロでとても雰囲気がよかったのだ。
滞在中は何度も用もなく乗り、暗くなるまで往復していた。いくつか同じようなフェリーに乗ったけれど、それぞれもちろん名前が違う。金星 銀星、午星、日星、夜星、などなど。
夜は毎日がお祭り状態と表現されていた廟街へ。あまりにも巨大な敷地での夜市といった感じだろうか。宿で知り合った人たちとよく夕食を食べに行った。
日本語でも書いてくれていた。
とにかく毎日よく歩いた。香港島では2階建てトラムに適当に乗ってあちこちウロウロ。スターフェリーと同様、乗っているだけで旅の魅力を満喫している幸せな気分になってくる。2階の1番前の席に座り、しばらく写真を撮っていた。
そしてトラムを降りて街を歩くの繰り返し。
鳥自慢の老人。鳴き声を聞いてもらいたかったようだ。
肉屋のおじさん。ちゃんとカメラ目線で微笑んでくれた。
ビルの横に出ている棒は洗濯物のためらしい。
その洗濯物をひっかけるとまで言われていたカイタック空港周辺にも行ってみた。
すぐ頭上を旅客機が飛んでゆく。
ラッキーゲストハウスには1か月滞在しているというオーストラリア人がいて、宿の番頭のようなことをやっていた。いつも酔っぱらっているような人だったが、時々こうやって掃除もはじめる。ベッドによっては南京虫が発生するというので、「バルサンの日」を設けて煙をたいて消毒の日もあった。僕は幸運にもそういうベッドには当たらなかったけど。
ラッキーゲストハウスには様々な旅行者がやってきた。オーナーが日本人ということで日本人旅行者が特に多い。男性ばかりではなく女性も多く、いろんな方の価値観が混じりあいながらとても賑やかに日々は過ぎていった。知り合った方々と時々夜の街へ。
どなたが撮ってくれたのか覚えてないけれど、僕はこんな感じで談話室のソファーで本を読んだり音楽を聴いたりしていた。
これは宿の近所の光景だったかな。こんな雰囲気が10日もすると体になじんでくる。
最終日もやはりスターフェリーに乗った。
空港へと向かうバスの時間まで乗り続けていた。
この旅をした1997年は、香港が中国に返還されてすぐの頃。大きな変化があるかもしれないと周囲の人々は警戒していたようにも思う。そして20年後の今、民主化運動でかなり混乱している。大きなものに飲み込まれずに、あのスターフェリーからの風景をのんびり眺められる日がはやく来てほしい。
スターフェリー乗り場にて 1997.12
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