この一か月、多くの人たちがそうであったように部屋の片づけをしていた。僕の場合はほぼポジフィルムの整理ということになる。フィルムで撮影していたのはくじゅうの山小屋時代の5年間と、写真の仕事をはじめてからの5年間という感じだろうか。10年間のフィルムとなるとものすごい枚数になるわけで、写真集やカレンダーなどで発表できたのはほんの一部ということになる。山小屋時代は一か月に20本ほど使用していたから、36枚撮りとしてそれだけで720枚になってしまう。デジタルと違ってその場での確認ができないため露出を変えて撮影、さらに予備のために撮影、さらに仕事を意識しはじめるとライブラリー用にさらに一枚ということになるため、同じ光景を何枚も撮影することになってしまう。
今回は思い切ってそれらを整理しようと思ったのだ。整理というか多くを処分。せっかく撮影したのにもったいないという気持ちももちろん強いけれど、同じ光景のポジフィルムを何枚も持っていてもほぼ無用ということになってきたのだ。だからせいぜい1、2枚を保存しておき、ほかはもう思い切って処分ということにしたのだ。
今、僕の部屋にはポジフィルム用の棚があり、そこにはおそらく数万枚のポジフィルムが保管されている。その中から「坊がつる山小屋日記」、「くじゅう万象」、「福岡の休日」などの作品を世に送ることができたわけなので、僕にとっては大きな財産となっている。
とはいえデジタルになって10年ほどが経過し、仕事でフィルムのレンタルが行われることはほぼなくなってきた。せいぜい年に1,2枚というところだろうか。ここ最近ではツバメガスカレンダーでくじゅう時代のポジフィルムが一枚使用されている。
要するにレンタルポジという世界はほぼ消滅している。大切なポジフィルムはスキャンしてデジタル化もしているため、僕の本棚のほとんどのポジフィルムは、ほぼ飾りという状況になってきていたのだ。とはいえ処分となるとやはりいろいろ考えてしまって、懐かしいフィルムをじっくり見て思いにふけったりしてしまう。でも同じ光景が多い時には10枚以上存在しているので、思い切って処分していった。そしておそらく5千枚くらいは処分しただろうか。持て余していたという側面もあったので結構すっきりした。それでもまだ数万枚は残してあるんだけれど、これらは使う使わないは別として、自分はこれだけ撮影してきたんだという自信を持つために残している、とでもいいうべきかな。自信というものはあまり持たないようにしいてるんだけど、それでも大きな仕事の時は自分を信じることが大切になってくる。そんな時にこれらのポジフィルムを思い浮かべるだけで自分を落ち着かせる。とまあそんな精神的なものになってきたということだろうか。
そして今回、これらを撮影してきたフイルムカメラの数々を、部屋に飾っておくことにした。押し入れで眠っていた懐かしのカメラたち。久しぶりに太陽の光にあたったような。 ニコンF90X ニコンF100、どちらもいいカメラだった。
最初に購入したのはF50だったけれど、これはF90X購入時に下取りに出したため手元にはない。今思えば残しておけばよかったかなあと。 ブローニーは最初に使用したのがフジGA645、くじゅうでは主にこれを使用していたけれど、何かの下取りに出して手元にはない。その後使用したペンタックス645Nはとりあえず大切に保管してある。
部屋に飾ると、使わなくなったカメラとはいえ写真を始めた頃のウキウキした楽しさを伝えてくれているように思えてくる。
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