今年に入ってから様々な本を読んできた。
先日までの大型連休中も読みたかった本を数冊、時には公園でチェアリングしながら読んでいた。
まずはロバート・キャパの「ちょっとピンぼけ」
やはりカメラで仕事をしている以上、この本くらいは読んでおこうと思いながらもそのまま時が経ってしまったという感じだろうか。それともやっと読む時が来たということだろうか。
数年前に九州芸文館でロバート・キャパの写真展があり、その時に写真集を購入していた。この写真集を見ながら読み進めていったのだった。
まず感動したのが目次前に書かれている序文(というのかな?)。あのジョン・スタインベックが書いている。キャパが亡くなってすぐの1956年とある。まだキャパが死んだということが信じられないという中で、キャパに対する友情、尊敬が強く感じられる文章。写真集にはスタインベックを写したものもあり、それは二人が鏡に向かっている一枚。キャパはハッセルのシャッターを押しているのか下を向いている。二人の何気ない日常、友情を表現したとても印象的な一枚だ。
このスタインベックの言葉で、キャパはカメラというものは決して冷たいメカニックなものではない、使う人によってじかに理性、感情と繋がっているものであり、動き、明るさ、哀しみ、そして思想をも写し得るものであるということを教えてくれた、とある。
この序文から僕は感動してしまった。僕ももちろんそういう気持ちで写すように心がけてはいるけれど、今の写真があふれている時代、それを忘れかけてはいないかと。一枚の写真と感情は繋がっているものであり、それを表現できないと写真家とはいえないだろうと。高価なカメラでいい画質の写真が撮れて写真家ぶっているような人には決してなりたくないと常々思っている。時代ながらの危うさを戒めるように改めて言葉にしてくれたような感動だったのだ。しかも60年近く前の大作家の文章で。
そしてキャパの手記に入ってゆく。
僕はこれらの手記を読みながら、もちろんノルマンディー上陸の過酷な状況やパリ解放の瞬間などは心を揺さぶられたけれど、それらよりも強く僕の印象に残ったのは、空港で戦場から帰ってきたパイロットを撮影しようとした時に「いったいどういう気持ちで俺を撮ってるんだ!」と怒鳴られ、しばらく落ち込んでしまったという何気ない一場面だった。僕も撮影を拒否されたりすると少なからず傷ついたりもするものだけれど、キャパでさえそうだったんだと思うと何だかホッとする。恋人を思うシーンもそうだけれど、こういう人間味あふれるキャパの姿がとても印象的で、それは勇気を与えてくれるようにも思えるのだった。
キャパは日本にやってきてすぐにインドシナへと向かい死んでしまったけれど、日本がものすごく気に入っていたようで、インドシナから帰れば日本を隅から隅までじっくり撮影したいと言っていたそうだ。日本は被写体の宝庫だと。
改めて日本を見渡してみたいと思った。キャパの時代とはずいぶん変わっただろうけれど、今は今なりにいいものがあふれているに違いない。