九州国立博物館で開催中のビュールレ・コレクション「至上の印象派展」をじっくり見てきた。初日に行ったにもかかわらずそれほど混んでいるわけでもなく、気に入った絵の前でしばらく立ち止まって見ることもできたのだった。僕はいつもいったん速足で巡ってから気に入った絵のところへもう一度戻ってからじっくり見るという鑑賞方法なので、あんまり混んでいると見る気力を失せてしまう。なので初日の夕方のまばらな人数はとてもありがたい状況だった。
印象派展といっても印象派の絵ばかりではなく、それ以前のアカデミックな手法の絵、その後の新印象派やモダンアートなど様々だ。
そもそもこの印象派展の宣伝用ポスターに使われているルノワールの「可愛いイレーヌ」、この絵はかなり精密に描かれていて印象派のタッチとはかなり違うように感じていたんだけど、名古屋美術館副館長さんの講演を聞いてなるほどと思った。顔などの上半身はそれ以前のアカデミックな手法で描かれていて、髪の毛や服装などは印象派のタッチを用いている、いわば手法が混ざった絵とのことだった。印象派のタッチでなかなか認められなかったルノワールがアカデミックな手法に戻って描かれたものとのこと。こういった世間を気にしすぎているところが赤瀬川原平氏のルノワール酷評につながっていくわけなんだけれど、なるほどと思った。この絵はアカデミック手法好きの依頼主には評価されることもなく、しかもイレーヌ本人にも気に入られることもなく、女中部屋に眠っていたという。
ちなみに僕はイレーヌというと沖縄で取材した盲導犬の犬の名前を思い浮かべてしまう。あの犬はこの絵の題名から名付けられたのだろうか。まあどうでもいいけれど。
僕は印象派時代のルノワール以外はほぼ興味ないのでスタスタ横目でみるくらいにしようかなと思っていたけれど、この絵は福岡会場では撮影可能とのことだった。東京ではモネの絵だけだったけれど、ここでは特別とのこと。なので一応立ち止まって撮影してみた。
しかもフジカハーフ、フィルム撮影だ。
撮影可能といってもフィルムで撮影している人なんて他にいるのだろうか。去年京都で見たマグナムの写真展で、モナリザの絵を撮影している人々を撮影した作品があったのを思い出し、こういう場所でも被写体にはなりうるのだなと思いながらシャッターを押した。
ハーフサイズカメラは露出もピントも適当なので撮れているのかどうかさえよく分からないけれど、後日現像すると何とか映っていた。イレーヌの絵の周りにはうっすらとこのカメラ特有の丸いゴーストが出現している。
すると当時は評価されることもなく女中部屋に眠っていたこの絵に親近感がわいてきたのだった。
この絵と同様にモネの睡蓮の大作も撮影可能となっている。海外の美術館では常設展はほぼ撮影可能らしく、厳しいのは日本くらいとのこと。名古屋市立美術館ではすべて禁止にしているらしいけれど、それはスマホで撮ってばかりで絵自体を見ない人があまりにも多いからとのこと。なるほどそれはイレーヌの絵でもみなさん見ている時間よりも撮影時間のほうがかなり長いように思えた。僕もそうだ。もともとあんまり見る気がなかった絵というのもあるけれど、撮影可能となればじっくりファインダーを見てしまっている。でもまあこうやって僕は親近感を抱く絵が生まれたわけだから、これはこれでいいのかも。
僕はこの会場ではブラックの絵にとても感激して、ブログでもこの絵のことを書こうと思っていたのにイレーヌのことばかりじゃないか。もはやこの絵が好きになっているのかもしれない。
ネットで拡散してもらうのが狙いらしい。
なので一応僕も撮影させていただいたのでネット公開。